ウッホウホウホウッホッホ
先日10年ぶりくらいに同門の後輩と食事をしました。
彼と最後に会ったのは恐らく彼がまだ音大に在籍していたか卒業したてくらいだったと思います。
卒業してリサイタルを開いて楽器店でギターの講師の仕事もして、というのはなんとなく知っていたのですが本当に久しぶりでした。
それくらい経つと人は随分変わるものですね。
彼は音楽史や楽曲分析の知識も豊富になっていて、びっくりする事に音楽についての会話の中でカントの「純粋理性批判」を引用したり「形而上学的に」「言語学的に」と言った難しい単語を使いこなしておりました。
私はと言えば?を浮かべつつ「そうね、刑事上学的にそうなるよね、お、お肉が焼けてるよお食べお食べ」と上手い事話をごまかしていました。
10年前からというか出会った時から本質的に既にそうだったかもしれませんが、明白に人として抜かされてしまっていましたね。
本質的にと言う言葉を使うなら或いは出会う前、私が生まれ彼が生まれたその時からそうだったのかもしれませんが。
私が漫画を読んでいる間、ラーメン作りに精を出している間、魚の捌き方を練習している間、メダカのための太陽光発電による水の循環装置を作っている間、彼は目標を見定め哲学や言語学、宗教学と言った様々な分野の知識を吸収し、それらをしっかりと音楽と結び付け、自分なりの人生観や哲学を築いていたのでしょう。
私も人生観は築き上げてきたのですが、それは「今日食べるご飯が美味しくて人に迷惑をかけず日々楽しければそれで良い」という前世はイソップのキリギリスかと言うような内容なので比較するのもおこがましい。
気が付けば私はその高尚な会話の内容についていけずウホウホうなずくだけの原始人と化していました。
彼の後ろに後光が差して見えましたね。
まあ彼の後ろの席にお客さんが来てライトが明るくなったという事なんですが。
多少自分が恥ずかしくなったものの、こういう生き延びられるかわからない厳しい世界で立派に生きている後輩を見られて嬉しかったです。
その夜、私もちゃんと生きていたら彼のような立派な人間になれたのかなあ、と淡い夢を抱きましたが、まあ自分には無理だろうなとウホウホ呟き眠りについたのでした。
願わくばうちの教室の子達は私を反面教師として健やかに成長して欲しいですね。
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