使い道がわからない
青灯社から出版されている入門・哲学者シリーズ「カント わたしは何を望みうるのか:批判哲学」貫 成人著を図書館で借りて本日読んでみました。
先日後輩と食事した際、彼がカントを引用したりしていたのですが、よくわからなかったので読んでみようかなと。
「中学生にも分かる、初めての哲学者全体像」と本の下部に添え文もあり、これなら私にも理解できるかもしれないという淡い期待を抱き読みました。
構成は
第1章:永遠平和のために
第2章:理性の限界
第3章:経験はいかにして可能となるか
第4章:行為の規範-われわれはなにをすべきか
第5章:美的判断力と目的論
と全5章から成っています。
それぞれカントの著作「永遠平和のために」「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」を当時の哲学者の考え、時代背景等も交えて解説してくれています。
はじめに「永遠平和のために」について書かれているのですが、本日は偶然8月15日。
戦争と平和について考える良い機会となりました。
ページ数は139ページとそう多くはないのですが、哲学的な言葉の定義が私たちが実際に使っているのとは異なる点で少し苦戦しました。
例えばカントの言う「批判」という単語はその対象となるものを画定する事を意味している、と言った感じです。
一つの例で「批判」という単語を挙げましたがそういった事がいくつかあり、その都度メモしてそれを参考に読み進めて行きました。
後輩が言っていた形而上学についてもわかり、カントはそれに対してどう考え、分類していったかもわかりました。
まだ1回しか読んでいないのでヒュームの懐疑論とそれに対するカントの理論の構築、ア・プリオリなカテゴリーというのが良く理解できていませんので明日もまた読んでみます。
ただ、この知識使い道がわからないんですよね。
読んでみて思考の整理整頓の方法、組み立て方という観点からは有用だと感じましたが、みんなどう使っているのだろう。
私の生き方は人と関わると迷惑をかけるのでできるだけ人と関わらず、頭を使うと何故か事態が悪くなるので意識的にあまり頭を使わず、運だけで偶然生きてこられて、これからもまあその方針で生きられるだけ生きていこう、というものなのでどうも哲学があまり必要ないのかもしれません。
ただ、「実践理性批判」と「判断力批判」は人の善・倫理と美的快感について書いてあるようで、それは興味が湧きました。
特に「判断力批判」の、人が想像力に寄って芸術作品に感じる美の普遍性というものは果たしてあるのだろうか。
ちょっと違うのかもしれませんが、協和する和音、とても不協和な和音を3歳くらいの子に聞かせたらそれを美しい、あるいは気持ち悪い・怖い、と感じるのだろうか、と言った事を少し前に考えまして、それくらいの子を持つ知り合いを思い浮かべた事があります。
「判断力批判」はどうも芸術的な美と星空などの自然的な美について言及されていて後者に重きを置いているような印象ですが、これについて専門の解説書を探してみようかと思います。
直に読んでも恐らく難しくてわからないだろうから解説書ですね。
著者の解説が上手いという事ですが、意外と哲学面白いかも。
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