8-1

ミュージアム・コンサート 東博でバッハ vol.66 鈴木大介(ギター) 無伴奏チェロ組曲&リュート組曲(ギター版)全曲演奏会 第一夜
を聴いてきました。
頭痛のせいで上手く聴けるか心配でしたが、その前のレッスンで生徒さんとバッハの減7の響かせ方で盛り上がっていたら少し収まってきました。
楽しい事をしていると良くなるみたいです。

東京国立博物館に行くため上野駅を出たら荘村先生にお会いしました。
お元気そうで嬉しかったなあ。

プログラムは
第1部
リュート組曲 第1番 ホ短調 BWV996
リュート組曲 第4番 ホ長調 BWV1006a

第2部
組曲 ニ長調 BWV1007(原曲:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調)
組曲 イ短調 BWV1008(原曲:無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調)
組曲 ト長調 BWV1009(原曲:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調)

開始して思ったのはどうも一人で弾いている気がしない。
基本2人か3人で弾いているような。
でも目の前には一人しかいないしギターも1台しかない。
そんな不思議な感覚。
そしてそれ故の混乱も。

混乱の理由は恐らく今までこんなに声部が独立し、しかも生きたまま聞こえてくるギターのバッハの演奏を聴いたことが無いから。
以前に書きましたが、今まで私の聴く能力の未熟さの故、そういった声部の連続性を保ったギター奏者の演奏を私が聞き取れていなかったという可能性もあります。
曲にも寄りますが、音域の制限や技術的な問題でどこかで声部の進行が途切れざるを得ないのが、ギターでのバッハの演奏と言う印象。
8弦ギターと恐ろしいほどの技術と音楽的解釈とアーティキュレーションで各声部全部生きたまま聞こえてくる。


声部の進行が途切れざるを得ない例がこちら。
リュート組曲第2番のサラバンドの後半の最後。
上2段がリュート譜(ハ短調)
一番下がギター譜(イ短調)
8-2.png
音域の都合で6弦ギターだとバスをオクターブ上げざるを得ずテノール(あるいはアルト)と交差してしまう。
そうすると2拍目表ファとシ(青い音)で対位法的に宜しくない増4度の跳躍と同じく増4度の響きが発生します。

だからこういう編曲がなされる。
バスが途中で途切れテノールがバスとなっています。
これだと6度の跳躍と響き。6度の響きは良い響き。
ただ少し(私としてはかなり)音の厚みが薄れるし物足りない。
でもあまり難しすぎると楽譜が売れないので幅広い層に演奏を楽しんで貰うという配慮もあるのかも。
8-3.png


そういった制限がないので、声部の聞こえ方が断続的でなく、前後の関係が途切れることなく聞こえてくる。
でも弦が2弦多いからそういう表現が可能、という単純な話ではないよう。
強弱やアーティキュレーションの工夫、細かい部分動機と長い小節的な動機両方を頭の中で捉えている、それが理由な気がします。
これは私にとって最上級の誉め言葉のつもりというか素直に思った事なのですが、今聞いている演奏がギターの演奏ではなく、弦の数は重要ではあるけれども、それとは別の部分で、ギターを超えた楽器の演奏のような、そんな気がしました。

これも誉め言葉として使っているつもりですが、目の前で弾いている人もギタリストと呼んで良いかわからなくなるような。
更にこれも誉め言葉として使っているつもりですが、第2部のチェロ組曲はチェロ組曲ではなく別の、バッハが8弦ギターオリジナルの曲として書いた曲のように聞こえてしまう。

なんというか今まで聞いたことが無く分類ができないというか、聞こえてくる演奏を解凍するソフトを自分が持っていない部分がある気がしました。
意味のない音が無いので情報量が多すぎて処理できていないというのもあるのかも。


他にも和音の響かせ方が多種多様で、それぞれかなり緻密というか相当に考え込まれ鳴らされているように感じました。
バッハの減7の響かせ方で盛り上がった生徒さんに聞かせてあげたかったなあ。
リュート組曲第4番ホ長調のメヌエットの最後の方でなんだかとてつもない響かせ方で和音を鳴らしていて今何が起こったのかと驚きました。
あれはなんだったのでしょう。もう1度と言わず10度程聞きたい。

先日作曲の先生が目の前でフーガのある部分を即興的に作っていき魔法の様だと書きました。
今回のコンサートもそんな印象です。

想像の3段階くらい上を行っていて良く聴くために練習、楽曲分析をしていましたがそれがあまり役に立たなかったなあ、と。

第2夜が4月9日(火)にありますが、それまでにもう少し勉強しておきます。
リュート組曲第2番にはフーガがありますが、現在フーガを勉強している者としてはとても楽しみです。
当日ストリーミングでのコンサート視聴も可能なので会場に行くのが難しい方も是非そちらで聞いてみてください。

この記事へのコメント